2014年11月23日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(1)  デモの限界

今回からは、年越し派遣村の後、2011年の福島原発事故が起こって以降、都市部で行われるようになった政治問題や社会問題に関するデモについて、もう少し書いてみたいと思います。

私は、この連載の始まりで皆さんに、ソーシャルアクションの方法として、デモへの参加を勧める記事を書き、デモは手軽なソーシャルアクションであるということも書かせていただきました。ところが今、これまでに開催されたデモが何の役にも立たなかったのではないかと思うような政治状況が生まれてきています。そのため、なぜデモが影響力を持てないのかという問いについて、少し考えてみたいと思います。考える材料は、私が実際に参加したデモです。

私は、年越し派遣村の後、20127月の大飯原発再稼働反対デモ、201312月の特定秘密保護法案反対デモ、20146月の集団的自衛権行使の閣議決定反対デモと3つのデモに参加したことがあります。2012年の大飯原発再稼働反対デモについては、毎週金曜日に4週続けて参加しましたが、デモという方法の限界も感じました。

これらのデモに参加しての正直な印象ですが、毎回、デモはある程度盛り上がり、政治問題や社会問題の存在を浮かびあがらせることができていたと思います、ただ、デモの盛り上がりがいかんせん一時的であり、その後の政府の政策決定過程にほとんど影響力を持てていないように思います。例えば、原子力発電所の再稼働はほぼ決定というような状態ですし、特定秘密保護法も、12月には法律として施行される予定です。

デモというソーシャルアクションの形態は、決して万能ではありません。その政治的影響力は、あくまで限定的です。デモという方法の長所は、政治問題や社会問題に関係する場所に多くの人が集まることで、政治問題や社会問題の存在を、政治家を含めた多くの国民に対して大々的に告知できるという部分です。そのため、集まる人の数が少なければ、全くと言っていいほど効果はありません。人が数千人の単位で集まることで、初めてそれなりの影響力を持ちます。

また、デモが行われたということがマスコミ報道やインターネット等で情報発信され、多くの国民の目や耳に入らなければ、問題意識の連鎖反応が起きず、デモがその時だけの打ち上げ花火で終わってしまいます。デモが行われているという情報は、あらゆる情報媒体を使って社会全体に発信されなければ、デモの効果は著しく減少します。


次回からは、上記のことを踏まえ、私が参加したデモについて、もう少し詳しく考えてみたいと思います。   

2014年11月6日木曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村モデルを超えて

私はこれまでの記事で、年越し派遣村の開設状況を分析し、その成功の要素として、「1.マスコミを味方につける」、「2.ソーシャルアクションの場所の選定」、「3.政治家を含めて多くの人と協働する」、「4.主催者が野生を持ち続けている」という4つを取り出してみました。この4つの要素について考えていくと、年越し派遣村がいかに洗練されたソーシャルアクションだったかということがわかります。そして、湯浅誠氏という特別なキャラクターの存在により、ここまでの影響力を持ったと言えるでしょう。

私達にとって年越し派遣村の意義は、ソーシャルアクションとして大きな成功モデルを提示してくれたことにあると思います。しかし、これだけの成功モデルがあるにも関わらず、その後、日本でソーシャルアクションの動きが活発になることはありませんでした。そして、年越し派遣村も、湯浅氏の内閣参与就任後は影響力を失ってしまいました。

さて、ここで前回の記事で書いた「野生」についてもう少し書かせていただきます。私は、湯浅氏が年越し派遣村村長をされていた当時、眼の奥にまさに「野生」が宿っている人だと感じ、一般国民の立場から政治に意見をしていけるカリスマが現われたと思いました。ぜひ湯浅氏に、今後も年越し派遣村のようなソーシャルアクションを起こして活動して欲しいと心から思いました。そして、湯浅氏のおかげで、私自身がソーシャルアクションの可能性を発見することができました。

ただ、湯浅氏の大ファンとして、大変僭越ながら申し上げたいのですが、今の湯浅氏は、年越し派遣村村長をされていた当時の「野生」が消えてしまったのではないかという感じがどうしてもしてしまうのです。ある時、私が敬愛する平川克美氏の著書の中に、湯浅氏とは全く関係ない文章でしたが、次のような記述を見つけました。


「なぜなら、いちばん大切なものである野生と富はトレードオフの関係にあるからです。このことをわたしたちは、本当は知っているはずなのです。通俗的なたとえをするならば、富を手にしたボクサーは、もう以前のように野性をむき出しにして闘うことはできなくなる。野性をむき出しにする必然性が失われているからです。」(1


私達は、社会的地位を確立し、ある一定の富を手に入れてしまうと、「野生」を失ってしまう。生涯を通じて「野性」を持ち続けることは難しいのだなと本当に複雑な思いがしました。

こうして考えていくと、これからのソーシャルアクションは、必ずしも年越し派遣村のモデルを真似する必要はないのかもしれません。カリスマという存在に頼っていてはいけないのです。

もともと、社会福祉は、当事者、専門職、一般市民が地域で地道な実践を続け、その実践を行政に訴えていくという、ソーシャルアクション的な活動があったからこそ、ここまで発展してきました。過去の歴史をたどれば、私達の先達が、私達に託そうとしたソーシャルアクション的活動を色々と見つけることができるはずです。私達は、まずそれらの活動を知るところからスタートする必要があると思います。


≪引用文献≫
1)平川克美『小商いのすすめ』ミシマ社、2012年、p.104105

2014年11月1日土曜日

ソーシャルアクションの方法  年越し派遣村に学ぶ(4)  野生について

年越し派遣村を成功させた重要な要素の4つ目ですが、主催者達が、年齢を重ねながらも「野性」を持ち続けた人達だったということがあると思います。
日比谷公園4
 


「野生?何のことですか?」と言われそうですね。「野生」という言葉は、あまり一般的には使われないので、私なりに「野性」を定義してみます。「自分を飾らず自然体で、世俗的な価値観に従属せず、自分が所属する共同体のために、自分の全てのエネルギーを注いでいこうとする強い気持ち」と言えるかなと思います。自分が有名になりたいとか、出世したいというような「野心」とはまた違うものです。年越し派遣村の主催者達は、心の内に、この「野性」を持っていたように思います。そして、この「野生」は、色々な人の協力を得てソーシャルアクションを起こす際、主催者側にどうしても必要なことなのではないかと思うのです。


私が派遣村主催者達の「野生」を感じたのは、当時の湯浅誠氏を初め、主催者達の一連の言動や、立ち振る舞いからでした。湯浅氏のことは、テレビで見た他に、年越し派遣村の中で何度か見かけました。日比谷公園の狭い道ですれ違うこともありました。湯浅氏が多くの人の前で演説をしたり、携帯電話で厚生労働省の関係者と必死で交渉しているのを見るたびに、その眼の奥に、何かが宿っているというような印象を受けました。そして、それが多くの人を惹きつけているのではないかと思いました。

湯浅氏の言葉で最も印象的だったのが、「私は怒っています。」という台詞です。この台詞は、湯浅氏がテレビで1人演説する時、最初によく使っていました。湯浅氏はこの時、本当に怒っていたと思います。貧困や派遣切りという社会の理不尽に対して怒っていました。そして、私達に対しても、もっと怒るべきであると言っているように思えました。

湯浅氏の発する怒りのエネルギーは、多くの人達に影響を与えたと思います。私も湯浅氏の怒りのエネルギーに大きく影響されました。影響されたと言うより、魅了されたと言っていいかもしれません。その怒りは、湯浅氏の持っている「野生」から出ている純粋な怒りであり、利己的な動機から出ているものとは思えませんでした。それは人を惹きつけ、鼓舞し、説得するような何かでした。私はそれまで、このような物言いをする人に出会ったことがありませんでした。「自分のためではなく、他の誰かのために、あなたも怒って下さい。」と湯浅氏が私達に言っているような気がしました。


私は当時、ボランティアもあまりやったことがなく、デモにも参加したことはありませんでしたが、湯浅氏の演説や対話を何回か聞くうちに、「これは他人事ではない。私も派遣村に行かなければならない。」という衝動を自分の中に感じるようになったのです。


≪参考文献≫
平川克美『小商いのすすめ』ミシマ社、2012