2015年12月26日土曜日

2015年の感想

今年は、日本の衰退を実感した1年だった。

日本は人口が減少し、経済が縮小してきている。今行われているような大企業や富裕層だけを優遇する経済政策では、経済成長率を上昇させることはできない。富裕層をますます富ませる一方で、貧困層を増加させるだけである。今の政権は、広がっていく社会の格差を是正しようという気は全くないらしい。

いつの時代でも、富裕層の人々が、資産や所得の再分配を自ら政策として提言することはない。これから庶民は、格差がどんどん広がっていく社会で、こじんまりと生きていくしかないだろう。

しかし、政策や制度に関して、身近に存在する明らかにおかしいことについては、仲間と連帯して声を上げ、地道に訴え続けていく必要がある。自分の足元から、時間をかけてそれをやっていくしかないのだと思う。

2015年4月5日日曜日

お勧め映画 「フェイトレス~運命ではなく」監督:ラホス・コルタイ、出演:マルセル・ナギ

今回は、お勧めの映画を紹介させていただきます。

この映画は、ハンガリーの映画で、14歳の少年が経験したホロコースト(第2次世界大戦中、ナチスが行ったユダヤ人大量虐殺)の収容所生活を描いています。ホロコーストを描いた映画は、「シンドラーのリスト」、「ライフ・イズ・ビューティフル」等がありますが、この映画は、日本ではあまり知られていないと思います。ハンガリーのユダヤ人作家、ケルテース・イムレ氏の自伝的小説が原作で、小説は2002年にノーベル文学賞を受賞しているそうです。


主人公である14歳の少年、ジュルカは、ハンガリーの首都、ブタペストに住むユダヤ人です。ナチス占領下のハンガリーでは、ユダヤ人は差別と管理の対象であり、ユダヤ人は全員、左胸に黄色い星のマークをつけて生活しています。

物語は、ジュルカの父に労働収容所への召集状が届く場面からスタートします。親戚一同が集まり、父との別れを惜しむ最後の晩餐の後、ユダヤ教のラビと思われる男性がジュルカに、「幸せだったお前の子供時代はもうおしまいなんだ。ユダヤ人の運命をお前も担っている。運命とは何かわかるか?数千年にわたる絶え間ない迫害を、平常心と忍耐で受け止めねばならない。」と告げます。14歳のジュルカには、ラビの言葉がまだピンときていません。

映画の邦題にも運命という言葉が含まれていますが、「運命」がこの映画の主題です。そして、このラビの言葉通り、ジュルカはユダヤ人の運命に翻弄されていきます。

ある日、ジュルカは、勤労奉仕に従事している同級生と一緒に、着のみ着のまま汽車に押し込められ、ドイツのブーヘンヴァルトにある労働収容所に収容されます。労働収容所で、ジュルカは、故郷に帰りたいという思いを胸に、生きるために働きます。しかし、労働収容所での生活は、常に死と隣り合わせの過酷なものでした。

映像は全編セピア色に着色されており、淡々と収容所生活が描かれます。ジュルカは何とか生き残り、収容所から解放され、自由を獲得します。解放された後のジュルカの述懐は、この映画の肝になっており、述懐の中のジュルカの台詞の解釈の仕方は、映画を見る人によって分かれるのではないかと思いました。正直、最後のジュルカの述懐は、収容所での生活を経験していない私にとって、共感するのが難しいと感じました。あまり書くとネタバレになりますが、この主人公の述懐は、現代を生きる私達に対する原作者からの問題提起だと思います。

映画の全編を通じて、人間や社会について考えるための素材になる作品です。皆さんにもぜひお勧めしたいと思います。

2015年3月30日月曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(9)  社会の変質

前回は、政治が機能不全になっている原因として、私達が政治にほとんど関わらなくなってしまったということがあるのではないかということを書きました。

デモの話に戻りますが、私がこのメールマガジンの記事を書き始めたのは、ソーシャルアクションの方法として、デモという方法があるということを皆さんに知ってもらいたいと思ったことがきっかけでした。デモという方法は、社会問題を浮き彫りにし、世間に訴えていくための1つの方法であり、デモという方法を通して、ソーシャルアクションや日本の政治について考えてもらう機会になればと思ったのです。

記事を書き始めた当初、デモという方法は、ソーシャルアクションとしてかなり有効な方法だと思っていました。ところが、ここ1年半くらいで、社会の状況が驚くほど急激に変化してしまいました。これは、マスコミと政治の変化による社会の変質と言っていいと思います。


社会問題に関するデモは、今も熱心に取り組んでいる方達がいますが、明らかに数年前のような熱気と盛り上がりはなくなってきています。デモが実施されるという情報も、あまり届いてこない感じがします。本当は、今のような社会の状況だからこそ、大きなデモをやって社会問題の存在を訴えていくべきだと思うのですが、デモが大規模に膨らんでいくための社会の構造そのものが変質させられてしまったわけです。


残念ながら、今の日本は、マスコミの機能不全、政治の機能不全等の現象が重なり、デモという形で社会問題を訴えても、ほとんど効果がない状態になっています。政治家がマスコミに圧力をかけ、マスコミはその圧力に抵抗することを放棄し、同時に、国民に対して政治問題や社会問題をアナウンスするという仕事も放棄しました。政治家もマスコミも政治問題や社会問題を黙殺するという状態になっています。そのため、デモをやっても多くの人にその情報が伝わらず、共感も得られず、問題意識の連鎖反応が起きないのです。デモの主催者より、国を仕切っている人達の方が何枚も上手で、したたかだったと言わざるを得ないでしょう。

次回から、今のような社会の状況で私達に何ができるのかを改めて考え、記事にしていきたいと思います。

2015年3月15日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(8)  政治の機能不全2

前回の記事では、マスコミだけでなく、日本の政治も機能不全に陥っているということを書きました。

政治が機能不全に陥っていて、政治家が軽い存在になっているということを考える時、その人達を選んでいるのは誰なのかという問いが出てきます。もちろん、それは私達国民です。私達は、政治家を選挙で選んでいますが、政治を機能不全にしてしまうような政治家を選んでしまう私達自身にも問題があると言えるでしょう。

また、国政選挙における投票率は、毎回下がってきています。総務省のホームページによると、平成257月の参議院議員選挙、平成2612月の衆議院議員選挙ともに52%代で、衆議院議員選挙については、戦後最低の数字のようです。この低投票率からは、政治への諦め、無関心という問題が見えてきます。

この政治への諦めや無関心ということを考える時、やけに記憶に残っている話があります。私が高校3年の時、公民を担当していた40代後半の男性の先生がしてくれた話です。その先生は、大学受験の科目ではないため、真面目に話を聞いていない私達の前で、にこにこ笑いながらこんな話をしてくれました。


「皆さん、政治家っていうのはね、本音を言えば、皆さんにできるだけ政治のことは考えてほしくないんですよ。国民に政治のことを色々考えられて口出しされると、自分達で好き勝手やることができなくなりますからね。政治家が国民に望むのは、テレビのバラエティー番組を見て、げらげら笑って、政治のことなんか何も考えず、お気楽に生活していってほしいっていうことなんですよ。そうすれば自分達で何でも好きなようにできますからね。」というような内容だったと思います。


この先生の授業の内容は、今ではほとんど忘れてしまいましたが、この話だけはなぜか私の記憶に残り続けていて、ここ数年の政治状況を見るたびに思い出してしまいます。上記の先生の話は、今の政治状況を予測するような鋭い指摘でした。先生がこの話をしてくれた当時は、ちょうどバブル景気が始まろうとしていた時代です。真面目に物事を考えるのはダサイことであり、何となく軽い乗りで生きていくことがかっこいいとされていた時代でした。


私達は、「政治というものは難しくて取っ付きづらいものだ。自分が直接関わるものではない。政治家がやってくれていればそれでいい。」といつの間にか思わされてきたのではないでしょうか。だとすれば、政治家の思惑通りにまんまと騙されてきてしまったということです。

 
ソーシャルワーカーの仕事をしていて思うのは、政治は、私達の生活と直結していて、私達の生活そのものを大きく左右していくものであるということです。私達が政治をきちんと監視していかないと、私達やクライエントの生活は、とんでもない方向に進んでいってしまいます。私達は、政治をもっと身近に考え、場合によっては直接的な関わりをしていく必要があるのではないでしょうか。

≪参考URL≫

総務省ホームページ 国政選挙の投票率の推移について
http://www.soumu.go.jp/senkyo/senkyo_s/news/sonota/ritu/index.html
(アクセス日:2015.3.14)

2015年3月8日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(7)  政治の機能不全1

前回の記事では、マスコミが機能不全に陥っている要因として、政治家がマスコミに圧力をかけたり懐柔するようになり、国民の知る権利を侵害し始めているということを書きました。

政治家がマスコミに対して露骨に圧力をかけたり懐柔するようになったということは、政治家が民主主義の基本原理を無視するようになったということであり、マスコミが機能不全になっているのと同時に、日本の政治も機能不全に陥っているということです。

私は、この10年くらいで、日本の政治家に対する印象が大きく変わりました。今の日本の政治家を見ていると、日本を背負っている人達であるという感じがしないのです。また、未来の日本をどう作っていくかというビジョンを持っているようにも感じられません。どことなく軽い乗りで仕事をしている人達であると思ってしまうのです。真面目に政治家としての仕事に取り組んでいる方もいるはずなのですが、軽いと感じてしまうのはなぜなのでしょうか。

1つは、今の日本の政治家は、戦争を経験していないということがあると思います。彼らは、1945815日の敗戦と、その後の占領を経験していません。敗戦とその後の占領について、歴史上の出来事としての知識は持っているのでしょうが、敗戦と占領による混乱や理不尽をあまり体験せずに生きてきた世代の人達であるように思います。

一方で、彼らの祖父母や父母は、戦争で親族を亡くし、自分自身が食糧難や貧困を体験し、国土を外国に占領されるという屈辱を味わい、日本が二度とこのような目に遭わないようにするためにどうすればいいかを本心から考え、今の日本の社会システムを作ってきたのだと思います。

今の日本の政治家は、自らはあまり苦労せず、先行世代の政治家が作った物をそのまま引き継いだだけであるということです。そう考えると、政治家としての理念や覚悟がないように見えるのも仕方がないのかもしれません。

また、今の政治家が軽く感じられるのは、彼らが今のことしか考えていないからということもあると思います。国会中継を聞いていると、とりあえず今を乗り切れれば、50年先のことはどうなってもいいのだろうかと思うことがあります。過去については、先行世代が積み上げてきた社会システムを引き継ぐだけでは飽き足らず、それらを否定し、壊していこうとする意志すら感じられます。過去を否定し、今のことだけにしか目を向けないのであれば、当然未来への深い洞察も生まれてきません。彼らは、過去と未来の双方を切り離した思考を持つ人達であるということです。


≪参考動画≫

「後藤田正晴ロングインタビュー」
https://www.youtube.com/watch?v=-w9AyFAyjMw>(アクセス日:2015/3/7

2015年2月8日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(6)  マスコミの機能不全2

前回の記事では、マスコミが機能不全に陥っており、問題意識の連鎖反応が起きなくなっているということを書きました。

では、マスコミが機能不全に陥っているのはなぜなのでしょうか。

ここ数年のことですが、政治家がマスコミに圧力をかけたり、懐柔したりして、大きな影響力を行使するようになったことが1つの要因だと思います。国営放送の役員が急に政府寄りの発言をする人ばかりになったり、政治家が大手マスコミの経営陣と何度も会食しているということがインターネット上でニュースになり、国会審議でも取り上げられました。これは、政治家が国民に知らせるべき情報をコントロールして、国民の知る権利を侵害し始めているということです。それも隠れてやるのではなく、見せつけるようにやっている節もあり、それ自体が暗黙の圧力になっています。


また、201412月には、特定秘密保護法という法律が施行されました。この法律は、国の安全保障に関する情報のうち、秘密にしておくことが必要である情報を特定秘密として指定し、その漏えいの防止を図り、国民の安全に資することが目的とされています。条文を読むと、基本的にはスパイを防止するための法律のように思えます。


しかし、過去の歴史をたどると、こういった情報統制のための法律が、国民の権利を制限するために恣意的に運用されたことを忘れてはなりません。この法律のやっかいなところは、特定秘密に指定できる情報の基準が曖昧であることと、特定秘密に指定された情報を探ろうとすると、どこかの段階で罰則が適用されるかもしれないという恐怖を取材者に感じさせる部分だと思います。


これらの圧力は、マスコミや表現の仕事をしている人達には無視し難いものだと思います。大手マスコミの社員である記者は、社内で波風が立たないよう、取材対象や取材内容を選び、記事の書き方を控えめにするという選択をする人も出てくるでしょう。このようにして、マスコミの中で自主規制が行われるようになり、国民は正確な情報を知ることが難しくなっていきます。


今、政治家はマスコミをコントロールしようと意図し、それが可能であるということを実証してしまいました。そしてマスコミをコントロールすることの旨みを覚えてしまったわけです。このような情報統制の網は、今後様々な場面で広がっていくことでしょう。政治家が堂々と国民の知る権利や表現の自由を規制するということを、私達はこのまま黙って見ているしかないのでしょうか。


≪参考URL

朝日新聞デジタル 特定秘密保護法の全文
http://www.asahi.com/articles/TKY201312070353.html>(アクセス日:2015/2/7

2015年2月1日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(5)  マスコミの機能不全1

前回の記事では、問題意識の連鎖反応を拡大する鍵を握っているのは、マスコミの報道の仕方であると書きました。

では、私が参加した3つのデモについて、マスコミの報道の仕方はどうだったのでしょうか。私の当時の印象では、デモについての報道は、非常にさらりとした、通り一遍の報道であったと思います。このようなテレビの短時間の報道、あるいは新聞の小さな見出しでは、デモの熱は広がらず、問題意識の連鎖反応が広がっていくはずもないなと思ったのを覚えています。

この記事を読んで下さっている皆さんも感じている方が多いと思いますが、今のマスコミは、完全に機能不全に陥ってしまっていると思います。権力を批判的に見る目を失ってしまっているのです。口では公正中立な報道と言いながら、政界や財界の顔色をうかがい、国民の生活を守るというスタンスの報道を意図的に控えるようになってきていると思います。もちろん、各テレビ局、新聞社によって、報道内容や報道姿勢に違いがあるわけですが、大手テレビ局、新聞社ほどその傾向があるように感じます。

例えば、今、沖縄では、普天間の在日米軍基地を辺野古に移転するための工事を進めています。沖縄では、昨年12月に県知事選挙が行われ、基地の移転に反対する翁長知事が当選しました。しかし、日本政府は沖縄県民の民意を無視し、半ば強制的に工事を進めています。そういう国民の生活に直接関わる政治問題や社会問題に対し、沖縄の地方新聞は、かなりストレートに日本政府を批判する記事を書いています。インターネットでそれらの新聞の社説を読むだけでも、ジャーナリズム精神というものを感じるのです。それに対して、大手のテレビ局では、沖縄の基地問題はほとんど話題にもなりませんし、政府批判自体を自粛し、手控えているように思えます。


大手のマスコミが国民の生活に関する問題、社会問題を大きく取り上げなくなっているというのであれば、どれだけデモのようなソーシャルアクションをしても、それが国民に情報として伝わらず、問題意識の連鎖反応はなかなか拡大していきません。そして時間の経過とともに、日本に社会問題が存在するという認識自体が国民の意識から消えていってしまいます。

2015年1月25日日曜日

ソーシャルアクションの方法  なぜデモが影響力を持てないのか(4)  問題意識の連鎖反応2

前回の記事では、私が参加した一連のデモは、問題意識の連鎖反応を起こすことができなかったということを書きました。ただ、問題意識の連鎖反応を起こすと言っても、それほど簡単なことではありません。私は、デモはそれ自体が問題意識の連鎖反応を起こす効果があると考えていますが、デモが開催された時、開催されたという情報が多くの人に伝わっていかないと、問題意識の連鎖反応を拡大していくことができません。

私が参加した3つのデモでは、デモについての情報伝達を、デモの主催者や参加者の口コミとインターネットに頼っていたように思います。しかし、それだけでは、社会問題が国民の間に問題意識として広がっていく時の影響力が圧倒的に足りないような気がしました。その時々の社会問題について、あるいはデモの開催情報について、興味のある人だけが情報を拾い上げてインターネット上で拡散させるという状態であったように思います。そのため、インターネットをあまり使わない層の人達に、デモが開催される意味があまり伝わっていかないのではないか、というもどかしさを感じました。

では、問題意識の連鎖反応を拡大していくためには何が必要なのでしょうか。年越し派遣村でもそうでしたが、デモが開催されたという情報や、デモが開催されたことの社会的意味を国民に伝達するために大きな役割を果たすのは、やはりマスコミなのではないかと思います。主として、テレビや新聞です。


テレビや新聞は、社会問題についてあまり関心がない人達、情報に対して受け身の人達にも、映像や文字(特に新聞の見出し)で確実に情報を伝えることができるという長所を持っています。テレビや新聞が、社会問題の存在を多くの国民が理解できるようなわかりやすい形で提示できれば、その社会問題についてのデモ開催に、国民全体にとっての意味が生まれます。そして同時に、デモ開催の必然性も生まれてくるのです。


デモ開催に多くの国民が必然性を感じることができれば、デモへの参加者がどんどん増えていくという問題意識の連鎖反応が生まれてきます。問題意識の連鎖反応を拡大する鍵を握っているのは、マスコミの報道の仕方であると思います。